アンコールワット遺跡があるシェムリアップ州は、カンボジア北西部にある第2の都市です。その一角で、児童養護施設「スナーダイ・クマエ」の運営に20年以上携わってきたメアス博子さん。毎年、子どもたちが描いた絵の展覧会を日本で開催しています。その活動にかける思いとは?
初めて絵を描いた子どもたち。
それは魔法のような体験でした
― 児童養護施設で生活する子どもたちの背景を教えてください。
2000年初頭までは、施設で預かる子どもたちの多くは、貧困が理由で親と離れて暮らす“経済孤児”でした。しかし、その後、カンボジアの児童福祉政策が少しずつ整備されてきたこともあり、より困難な状況にいる子どもたちの存在が明らかになりました。現在、私たちの施設では、虐待を受けていた子どもや身寄りのない子どもなど、より切実に支援を必要とする子どもたちが生活しています。
― 施設の時間割には、美術の時間もありますね。
カンボジアの公立学校では、美術や体育の授業がないところが多いのですが、スナーダイ・クマエでは、2008年から絵画の時間を取り入れています。絵を描いたことのない子どもたちにとって、「絵の具を混ぜ合わせると、いろんな色ができる」ことは、とても不思議で刺激的な体験だったようです。
施設の周囲には、青い空、太陽や月の光、マンゴーやバナナの実や葉、デイゴの赤い花など、豊かな色彩があふれています。「この色に近づけるには、どの色を混ぜ合わせればいい?」と、実験のように楽しむ様子は、私自身にとっても新鮮でした。
子どもたちと交流した日本人学生が
何年も経て、いまや子連れで絵画展に
― 日本で絵画展を始めたきっかけは何ですか?
明るい未来を思い浮かばせてくれる子どもたちの絵を日本の方々に見ていただきたい、カンボジアの子どもたちの今を知っていただきたいという思いがありました。また、絵画などを販売して、施設運営費の一部に充てる意義もあります。
―来場者はリピーターが多いそうですね。
毎年1枚ずつ、同じ児童の絵を購入して、遠く離れた日本からその子の成長を見守り続けてくださる方もいます。
ある大学生は、毎年夏休みになると子どもたちと交流するためにカンボジアまで来てくれていたのですが、社会人になってからは配偶者を連れて日本で開催の絵画展に来てくれて、今年はとうとうお子さんを連れて観に来てくれました。そして、「いずれ、親子でスナーダイ・クマエを訪れたい」と言ってくれたのです。
カンボジアと日本の橋渡しを地道に続けることの意味を、再認識できた出来事でした。
― 子どもたちの絵は、観る側を温かい気持ちにさせてくれますね。
「虐待を受けた子どもたちが、なぜ、こんなに明るく自由奔放な絵が描けるのか?」と、よく驚かれます。私自身、子どもたちが心に傷を負いながらも明るさを失わずにいられるのは、なぜだろう?と考えたことがあります。
思い当たるのは、カンボジアの開放的な子育ての環境。子どもが親にたたかれていても、近所のだれかが駆けつけて止めるなど、地域で子どもを育てるという意識が、根付いているからかもしれません。また、カンボジアの人たちは、深刻な状況にあってもどこかに笑いがあり、「生きていればなんとかなるよ」みたいなたくましさがあります。
今後は本当の意味での
「カンボジア人の手によるもの」に
― メアスさんの今後の展望を聞かせてくだい。
これまで私が先頭に立って施設運営をしていましたが、数年前から団体代表も施設長もカンボジア人になり、私は事務局担当に。施設名「スナーダイ・クマエ」は「カンボジア人の手によるもの」という意味です。
真の意味で、カンボジア人による運営のもと、カンボジア国内の支援と日本からの支援の両輪で、子どもたちの育ちを支えていきたいと考えています。
メアス博子さん
Profile
1974年生まれ。和歌山県出身。カンボジア人男性との結婚・出産を経て、2000年より児童養護施設「スナーダイ・クマエ」の管理運営責任者、2011年に代表となり、現在は事務局担当として、日本の支援者とカンボジアの子どもたちをつなぐ役割を担っている。
児童養護施設「スナーダイ・クマエ」: https://snadaicam.com/
取材・文/栗本和佳子 撮影/猪飼ひより 写真提供(現地写真)/メアス博子